「帰りたい・・・」我が家で行なった葬儀の苦悩

優しかった母が亡くなって、もう少しで七回忌を迎えます。
難病だった母が亡くなったのは、紅葉が美しい10月のことでした。

もう長くはないかもしれないと父から聞かされてから、1か月経っていたでしょうか・・・。
朝の5時、病院からの連絡は母が危篤だということでした。

私が静かに「もうダメってことですか・・・」と尋ねると、病院の方は「はい」と静かに答えました。
とにかく急と言えば急でしたので、父は葬儀屋を探すために自宅に帰り、近所の親しい方に相談していました。

まだ子供が小さかったので、主人と子供は上のロビーに行ってもらいました。
そして、私は1人・・・。

母の横に寄り添い、何も考えずにただボーっと座っていました。
看護婦さんが入れ替わり立ち代わり病室に入って来て、私に優しい言葉をかけて下さいました。

その後すぐに看護婦さんがエンゼルケアと言われる、綿を詰めて身なりを整えてくれる処置をして下さいました。

そして、全ての処置が完了すると、
看護婦さんが母に一礼をして全身をシーツで包み、霊安室へと運ばれたのです。
「ここならゆっくり居ていいからね・・・」と看護婦さん。

母が入院していたのは大きな専門病院でした。
次から次へと患者さんが運ばれてくるため、たとえ亡くなってバタバタしていても、病室(個室)には長くは居られないという現実を知りました。

どのぐらい時間が経ったでしょうか、父が手配した葬儀屋さんが病院に到着。
どうやら父は「家に帰りたい」とずっと話していた母のために、斎場ではなく、自宅を葬儀の場にしたようでした。

全てのことは父の考えに従おうと決めていたので、母を乗せた車は「帰りたい・・」と言っていた我が家へと向かいました。

私の実家は一軒家だったのですが、1階が1部屋しかないという本当に狭いお家でしたので、母の亡骸をどのように祭壇の形にしようかと、葬儀屋さんとかなり悩みました。
とにかく物で溢れていた部屋を、銀色のシートできれいに覆って頂き、母を送るお部屋へと整えて下さいました。

そして、ここでひとまず一旦落ち着きましたが、これからが本当に辛い時間の始まりでした・・・。
斎場で葬儀を行なえば、斎場のスタッフさんが常に付いていて、段取りよく進んでいくようなのですが、なんせ自宅のため家族しかいないものですから、母が寝ている横で、ご飯の支度や溜まった洗濯など、普段の生活をしていかなくてはいけませんでした。

そうした中で、葬儀屋さんが持ってきたパンフレットを見ては、
骨壺はどれにするのか、遺灰は何文字にするのかなど、自分のおかれている気持ちと行動が全くついていけず、家事は全て娘である私がおこなっていたため、母が帰ってきて2日目、ついに爆発してしまいました・・・。

「お母さん!!!」と子供のように泣きわめきました。
これには家族も驚き、まだ小さい娘も「母ちゃん大丈夫?」と折り紙にお手紙を書いてくれました。

母が我が家に帰ってきてから出棺まで4日・・・
本来なら棺桶に入る亡骸も、実家が狭いためにお部屋に入れることができず、昔のように、今まで母が寝ていたお布団で寝かせていました。
これがどのぐらいの苦悩かは、経験した方にしかわからないかもしれません。

お通夜には狭い場所ながらも、たくさんの母の友人がお焼香にきてくれました。
そして翌日、ついに出棺。

苦労しながらも楽しく過ごしてきた我が家から旅立ちました。
斎場に着いてからは、全てスタッフさんがやってくれましたので、何もすることなく無事にお見送りすることができました。

「家に帰りたい・・」
そう言った母のことを考えて、自宅を葬儀の場にした私達家族でしたが、その気持ちとは裏腹に、心身ともに本当に辛い時間を過ごしました。
それでも、きっとこんな私達家族の気持ちをきっとわかってくれながら、母は天国へと旅立ったのではないかと信じています。